| 物的資源の少ない日本がグローバル化の中で成長していくためには国家、企業が「コアな部分」とは何かを追求する場合、「コア・コンピタンシー」とは何かを問われ、知的資源たる知的創造物の生産を求められます。
米国のドラッガ−は「今後、経営にとって知識は唯一の有効な資源である」と言っていましたが、今その資源の競争が現実のものとなり、「知的創造こそが価値を生み出す」ことが広く認識されつつあります。
ところが、知的創造物を生み出すためにはその「知的創造」の方法論を環境変化に対応して考えていかなくてはなりません。
「知的創造」とは一般には人間が「知」を用いて創意工夫することで、新しいアイデア、物、システムなどを創造することをいいますが、「創造」とは「従来の業務や活動」と性質が異なり、参考となる雛型もなければ、信頼に足りるルールやプロセスもありません。それどころか成否の判断基準すら存在しないのが現状であり、一般的には「創造」を生み出すプロセスはある意味で一回限りの神技であったり、個人あるいは集団のイマジネーションが大きく飛躍した結果であって、事前に計画することも、真似することもできないものと考えられています。
この意味で「創造」とは「日常業務」に対極する位置と考えられます。
しかし、一方で素晴らしいアイデアを継続的に生み出す企業や個人が存在していることも事実であり、新しい戦略、新しい事業、新しい業務プロセス、新製品など・・・これらの企業・個人が打ち出すアイデアは様々なものがあります。
一般に「知的創造」というとITなどのサ−ビス産業が知識の価値の源泉と考えられます。すなわち工場や設備などの有形資産よりもサービス産業から生み出される「無形資産」が価値の源泉であり、従来工場が生んだ価値に対して「組織・顧客との知識共有と共創や知財」が流通する市場こそ価値を生みだすという事実がグローバルに示されてきています。 一般的には価値を生み出すのは知的で高度な人間が主役であり、普通の人間はその主役になりえないと考えられがちですが、実は各分野の普通のプロフェショナルが集積して知的創造が生み出されることが多く見られます。
この意味では企業はプロフェショナルな人材をいかに結集できるか、個人はいかにプロフェショナルであるかが問われる社会になったといえます。すなわち「従来と同じ働き方、組織のありかたはすでに限界を迎え、正にプロフェショナルの意味が問われる時代が到来していると言って良いでしょう」。
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